罪と罰(下) 「罪と罰(下)」 / ドストエフスキー ドストエフスキーは全作読みたい作家さんの一人なのですが、いかんせんロシアの名前に親しみがないため読みづらくてまだ罪と罰しか手をつけてないという。再読しました。まだきちんと読めてる自信はありませんが、一度目よりはややしっくりきている感じ。 予期せぬ第二の罪を犯したラスコーリニコフが罪悪感に怯えたり良心の呵責に悩んだりする様子が書かれている一冊。くどいまでに「こいつ、狂ってやがる」とラスコーリニコフを生ぬるい目で見るしかない。頭の回転が早過ぎるがゆえにイッちゃったタイプだなと思いました。個人的に好きなのはソーニャとポルフィーリイ。ソーニャぐらい犠牲の精神と善良さにあふれた人が多かったらさぞかし日本は平和だろう。ポルフィーリイも「へ! へ!」って笑い方さえなければ格好いい人物だと思う。 なんというか癇癪持ちのドストエフスキーが書いただけあって、うまく言えないのですがヒステリーな登場人物が多いなと感じました。作家さんの精神状態って絶対本に影響するもんだよね。 ラスコーリニコフには好感がもてる。自分が殺した理由に後付けでもっともらしい理由はつけずに、「自分のために殺したんだ。僕にいちばん必要なのは金ではなかった。金ではなく、他のものだった」というソーニャへの懺悔のシーンでは、彼の気持ちがよくわかってうんうん頷いてた。金じゃあなかったよね、だけど“他のもの”がなんなのか君にも私にも言葉にできないんだよね。あれだよね、あれなんだ。のような暗黙の了解。名誉とも違うし、証明とも違う、勇気でもない。でも何かラスコーリニコフはその殺しで手に入る感情があることを知っていた。第二の殺人がなければ彼は自首をしなかったかもしれない。 有名なシーンではあるんですが、罪と罰で一番好きなシーンと言ったら大地に彼がキスをするシーンです。それから続く、一年後にソーニャの膝に手を置いて泣くシーンも好き。 私、この話読むといつも「罪」はなんとなく把握するとして、「罰」ってなんだろうなって考えるんですよね。そりゃ最後は流刑にされるわけだけれども、誰も彼のことを裁いてないじゃない? と思うわけです。罪悪感と良心の呵責が罰だったなんて、そんな単純なものでもない気がするし。 なんとなく思うのは、罪を犯すことによって自分が世界にひとりぼっちになったような、そんな錯覚が罰なのかなって気分。ポルフィーリイが「自分から自首してきますよ」って言ったところにすべて集約されている気がする。 大地にキスして神に許しを請うのは、暴走した頭脳だけの世界から人間らしさに回帰するみたいな意味があるのかなーなんて、そんなことを素人の私は考えるました。ドストエフスキーの解釈とか、たぶん文学科出身の人だと詳しいのでしょうけれども、私はちょっといまいちでして(汗) あと一回くらい再読したいところだけれども、その前に本屋でカラマーゾフの兄弟を買ってこんといかんです。色々読んだあとに罪と罰を再読すると、もうちょっと違う感想が出てくるかも。 PR