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東堂燦さん、「心中は泡沫の夜に」

燦さんのサイト
http://snowsheep.sakura.ne.jp

「心中は泡沫の夜に」
http://snowsheep.sakura.ne.jp/main/utakata/utakata.html

あらすじ
足の不自由な語り部の「わたし」。そんなわたしを土曜日に必ず訪ねてくれるやさしい「青年」。いつしか青年に恋心を抱くようになったわたしは、ある日海を見に行きたいと青年に言った。

感想
参考文献にアンデルセンがあるように、物語自体もまるで異国の童話のような雰囲気でした。
あるところに可哀想な女の子がいて、その女の子に優しくしてくれる王子様がいて。しかしその幸せは長くは続かなかった……のような。
言葉が適切ではないかもしれませんが、浮かんだ言葉が「虚実の悲劇」って感じでした。
人によっては「現実味のない感情、陰惨さ」と感じるかもしれません。私もどこかで作られた悲劇――それこそお伽話のお姫様がひどい目にあったような気分を味わいました。
だけど彼女にとっての悲劇は煙草の火を押し付けてくる父親でも、殴ってくる母親でもないのです。もちろん足を失い、両親を失ったことでもない。愛が得られない、愛する人から庇護欲以上の感情を得ることができない上に、自分は彼のために何もしてあげられない存在だという無力感こそが彼女にとっての悲劇なのです。
お伽話はね、いつも綺麗なところでお話が終わるけれども、もしお伽話のお姫様の感情をどっぷり書いたらこんな作品になるのかな? と思いました。物語のために作られた悲劇、その運命から逃れられないお姫様たち、私たちが彼女たちを物語として見ているように、物語の中から彼女たちは私たちを見上げているのかもしれない。
「最後にどう評価するかなんて関係ないの。これがわたし。わたしの感じ方だったの」
そんな印象を受けた。主人公の「わたし」の悲しみや辛さが、出来上がりすぎた悲劇よりもずっと私の胸には突き刺さりました。

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