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最近読んだ本

「暴走少女と妄想少年2」 / 木野裕喜

木野先生、読むの遅くなってすみませぬ(汗) 何分読むにスイッチが入るのがすごく遅いもので。
まあ木野先生がこのブログ知ってるかも定かでないんで、とりあえず感想のほうを。感想のほう……を。
正直どこから書けばいいのかわからないんですよね。マックでカフェオレ飲みつつ読んだのですが、途中何度か吹いて周囲の人の目を気にしながら顔を本に埋めるのですが、そしてまた「ぶはっ」となる怪しい人だったのは覚えています。
前に善一くんが好きだと言ったことがあるのですが、正直ヒロインの口の悪さには閉口してしまうところもあり、今回もなんて身勝手な子! と何度か思ったのですが、そもそも16歳ぐらいの頃ってみんなけっこう身勝手に振る舞うもんですよね。みんな自分中心に世界が回っているような錯覚しているのが高校生くらいかなって思い直したら、なんか微笑ましい視線で見られました。
しっかしラブコメが好きな人が見て笑うならばわかるけれども、ラブコメがそんなに好きでない人も思わず笑うストーリーってすごいですね。アホらしいやり取りでしかないのに、うっかり笑ってしまうのです。
大真面目に笑える話を考えられる人はすごいなと思いました。




「若き詩人への手紙 若き女性への手紙」 / リルケ

よりいっそうリルケが好きになりました。
若き詩人への手紙は読んでいて、うん、うん、そうだよね。と何度もうなずき、だけどこれを実行できるモノカキさんは現代でも少ないんだろうなあと思いました。私ももちろん難しいよ。
若き詩人、カプスくんはこれだけリルケにはげましの手紙をもらいながら、最後は大衆小説を書くようなところまで堕ちてしまった。これは残念なことだ……のような記述が最後にあるのですが(リルケでなく編者によって)なかなか実行できるもんでないよ? と思う。外側から見て批判するのは簡単だけれどもね。たしかに残念なことではあるけれども、実行するのは難しい。
若き女性への手紙、のほうはとても難解だった。何度か読み返してみたけれども、やっぱり理解できた感じがしない。言葉を理解しようとしても目から文字がつるつるすべっていってしまう感じ。ただ苦しい苦しいって感情はすごく伝わってくる。リルケの苦しさというよりは、リルケが女性の手紙を読んだときに心をいためたのが彼の返信にのったのかな? と思ったけれども違うかもしれない。
若き女性への手紙は、若いうちに読んでもよくは理解できないかもしれない。リルケが何か必死に女性に訴えてるのはわかる。何かを必死に止めようとしているのもわかる。だけどリルケが何を危惧して止めようとしているのかは、解説を読んでもいまいちピンとこなかった。
わかるようになる日がくるといいな。
印象に残っているのは、「どうしてもそれは新大陸でなければならないのですか?」という言葉。捨てようとした大地には希望がないのかというメッセージ。
この言葉の深い意味を私はまだ理解していないと思っている。






「無境界」 / ケン・ウィルバー

トランスパーソナルセラピー関係の本。善と悪、醜と美、上と下など……人間が境界線を引いたところに葛藤や争いが生まれるのであって、自然界にはこのような境界線は存在しないというお話。
読んでいて納得させられることも多かったし、スピリチュアルには抵抗あるけれど、という人が心理学の延長上でやる学問としてはちょうどいい入門書だと思う。
だけどその無境界――境界線なんぞないんだよということを自覚することの難しさは、語ったところで理解されるかなって感じです。まっさらな無境界の地に到達したところで、他の人たちは境界を勝手に引いた世界で生きているわけだから、生ある以上、時代が許さぬ以上はまた境界の引かれた世界にいつかは戻ってこなきゃいけないんですよね。
それでいいとは思うんですが、全体をとらえるというのは今となっても難しいです。どうしても人間が全体と思っているものはどこか一部だったりするもんだよね。孫悟空が遠くまでいったと思ったのに観音様の手のひらの上をぐるぐるしていたみたいにさ。
同一化と脱同一化を自由自在にできるようになるのはこれから先に私のテーマだなとは思うのだけれども難しい。

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